フランス~ゲランド塩田を訪ねて~



ゲランド塩田へ



ゲランド塩田の地図です。
パリから新幹線で3時間。ここはブルターニュ地方とも呼ばれており、
その名の通り「ブリテン/イギリス」との船による交易も盛んにおこなわれました。
古代は北からヴァイキングが攻め入り、中世にはイギリスに併合されたこともあります。
塩をめぐり様々な戦いの場となったゲランド半島への初めての旅でした。


ゲランド上空より現在の塩田をのぞむ。

ゲランド半島は400メートルに及ぶ遠浅の海岸が広がります。
低い丘の上から海岸まで、びっしりと作られた無数の塩田。
塩田には毎日2回の潮の満ち引きを利用して海水を引き込みます。
太陽と風の力でじっくりと海水の蒸発を待つ昔ながらの塩作り。
年に一度の収穫を楽しみに、塩の結晶を待つ古代式塩田の塩作りが実践されています。

塩作りはずっとこの地域の人々の生活の糧でした。
塩田のほとんどは家族世襲によって何世代も引き継がれてきた個人事業です。

半島の岬には灯台があり、航行する船が浅瀬に乗り上げないように知らせています。

湾内では牡蠣の養殖も盛んにおこなわれて来ました。
牡蠣料理はゲランド名物の一つでもあります。



ここはゲランド塩生産者組合のお店。TERRE DE SEL(塩の畑)と書いてあります。

塩生産者組合さんは、一度は廃れた伝統の塩作りを今日に復活させ、
塩田に散らばる多くの塩職人を団結させた仕掛人です。
この地域の団結力にゲランドの魅力があり、
その秘密を知るために世界中から訪れる人々が堪えることがありません。


ゲランド塩生産者組合のロゴです。


私たちがゲランドを訪れたのは冬2月でした。
日本よりも暖かく日差しに満ちていました。
ゲランドでは9月に塩の収穫を終えたのち、塩田に海水を湛えたまま3月まで休眠します。
冬の塩田では、昆虫や微生物・蟹や貝なども暮らしています。
冬のこの休眠時期、塩田も穏やかに回復を待っているようにも見えます。

周囲一帯は自然保護区になっていますから、農薬などの化学物質の散布などは有りません。
海水と青空だけが静かにたたずむゲランド塩田。
私たちのすぐそばを、かもめが飛んでいきます。


午後2時。休眠中の冬のゲランド塩田。静かです。


午後3時半の塩田の太陽。すでに夕方の光です。
ヨーロッパの冬は昼間が短いですね。


一日お付き合い下さり私たちを案内してくださったのは、
ゲランド塩生産者組合のエマニュエルさん。
指差しているのは岬の灯台。
「湾の中へは船は入れませんよ、浅瀬ですからね」と。

エマニュエルさんに恐るおそる尋ねました。
「私たちは、あなた方のお塩を用いてブレンドしたハーブソルトを販売しているのですが、問題ありませんか・・・?」

手渡したこもれびガーデンのハーブソルトを受け取りながら、にっこりと笑ってくださったエマニュエルさん、
「私たちの塩を使ってくださって有難う。」

よかった!気になっていたことが一気に解決しました!!



ゲランド塩生産者組合のお店の中には自由に味見できるお塩が置いてあります。
木製の容器やかごは、実際に塩田で使われているものです。


粗塩です。
にがり(ミネラル)がたっぷりと入っているためなかなか乾燥せず、さわると海水が手に残ります。
精製されていませんので、色は少しグレイです。昔は小石や藻がちょっと残っていたりしました。
それでも、美味しいゲランド塩に魅せられて、ここまでやって来たのですから!


布袋での販売も。
お土産仕様の布袋パッケージ。いいですね!


ゲランドの商品たち。最初に収穫する一番結晶塩(塩の花)、
塩田で結晶したままの姿の粗塩、
粗塩を粉砕した細粒塩、
さらに海藻を混ぜた藻塩、スパイスを混ぜた塩、
そして塩キャラメルなどもありました!


塩キャラメル!ゲランドのお土産では一番の人気者です。


塩キャラメル!


お買い物の後はお支払い。


塩田から少し丘を上ったところに、東西南北4つの城門を構える立派な石造りの要塞のような地域がありました。
これは予想外でした!
塩田のことしか調べていなかったわたしたちの前に、石造りの巨大な要塞が現れたのです。
ここは塩の争奪戦に荒れたヨーロッパの歴史そのものでした。
英仏100年戦争の舞台の一つでもありました。

この像は世襲の稼業塩作りを手伝う子供の像です。小さいころからお手伝い。


要塞内の地図です。


こもれび娘: 「何で丘の上にこんな石の要塞が突然あるんだろう?」
こもれび母: 「海から攻めてくる敵を見張ってたのかもね。」

帰国後調べてみると、やはり10世紀ごろ、たびたびヴァイキングが襲撃してきたらしい。
1342年のゲランドの虐殺では、この城壁内に5,000人ほどの住人が立てこもったそうです。
恐ろしい歴史もあったのですね。
日本でいえば島原の原城みたいな話しなのかな。


要塞の中。石作の建物に石畳。これだけの石をどこから運んできたのだろう。
10世紀頃、ゲランド半島はケルト人やヴァイキングから幾度も攻め入られたそうです。
フランスの人々はゲランド半島にブルターニュ公国を築いて、海から攻めてくる外敵と戦ったと言います。
以来続くゲランドの街並み。1000年経っても人が住める石造り。
この石畳文化は日本にも輸入され、長崎のオランダ坂をはじめ各地に今も残っています。

お塩を売る売店も、教会も、レストランもありました。


(以下、wikipediaより引用)
ゲランド半島には新石器時代から人の定住があった。
486年のソワソンの戦いでは、フランク王クローヴィス1世と、ガロ=ロマン系ソワソン王国の司令官シアグリウスが戦い、
結果として長くローマ帝国の飛び地(ソワソン管区)となっていた。ソワソンを含むネウストリアがフランク支配下に置かれることとなった。
6世紀からブリトン人のアルモリカ移住が始まる。
814年、カール大帝が死去すると、ブリトン人首長モルマンがブルターニュ王を自称してフランクとの戦いを始めた。
彼は818年に戦いに敗れ殺害されるが、その後幾度もブルターニュはフランク支配に対して反乱を起こした。
ゲランドを含むネウストリアはフランク王国に従属するナント伯、そしてブルターニュ辺境伯が治めることとなった。
10世紀からたびたびヴァイキングの襲来を受けた。
919年には聖アンジェのアルビヌス(フランス語版)(フランス語名:オーバン)にとりなしを願ったところ、
町は襲撃から守られたという故事から、アルビヌスを守護聖人とするようになった。
10世紀半ば以降より、ガロ=ロマン系のレンヌ伯家が治めるブルターニュ公国の領有となる。
ブルターニュ継承戦争ではゲランドも戦禍に巻き込まれ、1342年春のゲランドの虐殺では、
シャルル・ド・ブロワ(ブルターニュ女公ジャンヌ・ド・パンティエーヴルの夫)指揮下にあるスペイン=ジェノヴァ共和国混成軍がゲランドを包囲した。
ゲランド要塞には4,000人から5,000人とも言われる住民が立てこもった。
その後、第一次ゲランド条約(英語版)、第二次ゲランド条約が締結された。
最後の独立したブルターニュ女公アンヌがフランス王シャルル8世と結婚したことから、ブルターニュはフランスへ併合された。
ブルボン朝時代には、エタ・ド・ブルターニュ(フランス語版)という地方三部会を持っていた。


一般の人々が今なお住む家々もありました。
石造りの門の中庭には木々も植えられており、住みよい静かな街並みです。


ゲランド塩を売るお土産店。これは陶器の塩入れです。
塩組合に加入せず、細々と商売を続けている塩職人さんたちのお店のようです。


外界と遮断する要塞の4つの門の一つに立ってみました。
敵が攻めてきたらこの門を閉めるんですね。


中世に建てられたサントーバン・ド・ゲランド教会


中ではちょうどミサが終わったところでした。沢山の信者さんがいてびっくり。


素晴らしい音質と音量のパイプオルガンがありました。
この方はジャズを弾いているのですが、神父様も気にしていないご様子。
アーティストの国フランスですね~。



ヨーロッパ一美しいと言われるラボール海岸(報告9)



ヨーロッパでもっとも美しい海岸と謳われている
La Baule海岸。
ゲランド塩田のすぐそばにあります。
海水を利用するタラソセラピーの発祥の地ともいわれています。


弧を描く全長3kmの海岸。
細かな砂粒、大西洋のさざ波、
ユリカモメが鳴きます。


ここも遠浅ですね。




海岸通の街路樹。
冬ですから葉っぱもすべて落ちていました。


次第に夕闇に包まれます。
空気が澄んできれいです・・・・。

こちらも夏の避暑地。
ホテルや別荘がずらりと並んでいます。
さっきまでのゲランドの、古代さながらの暮らしとは打って変って
ここは豪華なリゾート地。
パリのお金持ちが夏を過ごすところなんだそうです。
塩田のすぐ横にある豪華絢爛たる別荘地帯!
この地域のリゾート開発についても反対と賛成派が争ったようです・・・。

ほぉ・・・!
現地に足を運んで、初めてわかることばかり。

やはり冬場ということで、ほとんどの家は閉じられ、
ホテルも休業。
かろうじて予約したホテルも私たちだけの貸切。
一泊3,500円ほどで泊まれました。

ただし、
この日は晩御飯にありつく為に、歩きました。
雨の中、灯の消えた家々の町並みをあっちへ、こっちへ。
誰もいないゴーストタウン。
心細いこと!

コンビニはおろか、スーパーなんぞ一切ありません。
細々と営業しているのはカジノ屋さんのみ。

やっと見つけたバー一軒。
食べ物ありますか?


サラダなら。
ヤギのチーズでした。
バーの中では、経営者さんのご家族の晩餐中でしたが
それにもかかわらず空腹の私たちを親切に招き入れ、静かにもてなしてくださいました。


最果ての漁村 Le Croisic ル・コワジック


フランス語の運転手さん。
お仕事中に、梨、食べてます。
これもまたフランス的なのかな、笑。

言葉のわからない私たちに、窓の外を指さしながら、トレ・ジョリ?トレ・ジョリ?と聞いてくれます。
ええ、とてもきれい。

時々車を止めてガイドしてくれるのですが、
こちらのフランス語はさっぱり。ごめんなさい。
でも笑顔と笑顔でなんとか・・。 


フランス、ブルターニュ地方、最果ての漁港ル・コワジック、冬のある日、午前10時30分。
ここはゲランド塩田のすそ野に位置し、大西洋に面した漁港です。
港では女性が捕れたての牡蠣を売っていました。


ちょうど日曜日。
朝の鐘が鳴っています。

ル・コワジックは
漁村でもあり、別荘地帯でもあります。
また、所々においしい海の幸を供するレストランも。

夏場は避暑地として賑わうこの地域も
冬場、ひっそりと戸が下りています。

最果てにたどり着いた~~。


 
大西洋を見渡す海岸に慰霊碑が。
向こう側はイギリスかな?


漁師さんの船。引き潮の時はどこかでくつろいでいるのかな?




荒波海岸!
これでもか、これでもか、海はオトコぞー。
(注:フランス語では海は女性名詞らしいです。)


もっともその地らしさが味わえる冬景色、
だれもいない海、です。


ゲランド旅の終わりに
 
古代塩田ゲランドを去る時、
塩生産者組合のエマニュエルさんからお土産をいただきました。


伝統細工の塩入れです。
私たちの旅の幸運を祈ってくれるエマニュエルさんからのプレゼントです。

「昔の旅人は、このように塩を携帯したんです。
  塩は命の糧。貴重品です。」

木の小箱は簡単に開かないようにきっちりと作られています。
湿気も入りません。」

ありがとう!

何度も帰りたい、母なる海。

永遠の古代塩田、ゲランド。


最後に
「私たちの塩を買ってくれてありがとう」 と エマニュエル。

「私たちに塩を売ってくれてありがとう」 と こもれび母娘。


さて、こもれびガーデンの無添加ハーブソルト、
ゲランド塩生産者組合の皆さんに励まされ、力いっぱい、さらにがんばります!



農業立国フランス。

確かに豊かな自然に恵まれた日当たりのよい国。
家畜や農産物に恵まれた地域、水も豊富な印象です。
ワインやチーズ、ゲランド塩、美味しいものがいっぱいのフランスです。
ゲランド塩田は左上の赤い伊勢海老の絵がある付近です。


ゲランドからパリへ




ラボール駅。
これからTGV(国鉄新幹線)で3時間、パリへと走ります。

乗車前の昼ごはん。
セットメニュのランチです。

りんご酒(軽く醗酵させたリンゴジュースみたいです)
リンゴビールとでも表現できそうですが、シードルという名前だそうです。
冷えてはいないけど、ほんのり甘くて酸っぱくて、おいしかったです。

ガレット(胚芽麦粉+そば粉クレープ卵のせ)
これが噂のゲランド名物か。
素朴でいいお味。

続いて出てきたデザート。
甘ーい塩キャラメルをかけた、やはりガレット。

わお。
小食日本人には、信じられない量。半分でいいよ!
どちらも美味しかったけど、残してごめんね。


はちきれそうなおなかを抱えて駅のホーム。

週末をふるさとで過ごした人びとがパリへ戻ります。

列車はこれから造船地帯のサンナゼールを過ぎて
古城めぐりで有名なナントを経て
パリはモンパルナス駅に到着。


念願のゲランド訪問を果たし、
ほっと安心した私たち一行。
あと一日のフランスを残すだけになりました。

こもれび母「もう、どこへでも自分で行けるよね。」
こもれび娘「うん!」

格安チケット・自力予約・体当たりコミュニケーションで
なんだか、ものすごい自信がついた親子に
いまや怖いもの無し!!


The End.

ゲランド報告を最後までお読みくださってありがとうございました!

こもれびガーデン